トライアスロンをやる企業のトップや有名人が増えているらしい。これはとても興味深い現象だと思う。
実際、雑誌などの社長インタビューで、「趣味はトライアスロン」というのを見かける事が結構多い。あまりの多さに、またか、と思ってしまうほどだ。トライアスリートであることを公言している役者やタレントも、かなり増えてきた印象だ。
経営者にしても芸能人にしても、一般の平均値から見れば極めて特殊な人種である。何が特殊かというのは本文中で少しずつ触れていくが、こういったセレブにトライアスリートが多いという事実は、トライアスロンがどのような性質をもったスポーツなのか、ということを考える上で1つのアプローチにはなり得そうだ。
今回は、「経営者や芸能人にトライアスリートが多い理由」という側面から、トライアスロンの何たるかを考察する試みを実施してみたい。
ところで前提として、私は経営者でもなければ芸能人でもなく、普通の会社員である。なのでここから行う考察には多分に想像が含まれてしまうが、その点はご容赦いただきたい。
トライアスロンは戦略的なスポーツである
企業の経営者などに好まれる理由として、まずはこれが一番しっくりくる。
そもそもスポーツというものは、多かれ少なかれ戦略性というものを必ず含んでいる。どんなスポーツでも、敵を倒すために、早くゴールするために、相手よりも多く点を取るために、情報を分析し、手段を考え、タイミングを見計らい、実行する。戦略の積み重ねは、スポーツの醍醐味の1つでもある。
3つの種目を続けて行うトライアスロンでは、その戦略性がことのほか分厚い。
もちろんレース自体も戦略的なのだが、道具選びから練習、レースの準備、コンディショニングから日常の過ごし方に至るまで、全てが結果に結びつくのがトライアスロンである。この戦略性の高さこそがトライアスロンの最大の魅力、と言っても過言ではないと私は思う。
経営者というのは、戦略的に物事を進めること好み、更に/あるいはそれに長けている人種なのだと思う。そういった性質を持つ人々にとって、トライアスロンはまさにたまらないスポーツなのだろう。
トライアスロンは自己完結できる
普段多くの人を動かして仕事をしたり、多くの関係者の期待や不満や生活を背負って仕事をしている人々にとって、自分ひとりだけで何かを完遂できるというのは、すごく気持ちがいいことなのではないだろうか。
特に部下を使ってする仕事ばかりの経営者は、日々そのストレスに苛まれているのではないか、と思う。
トライアスロンは、少なくともスイムのスタートからランのゴールまで、ひとりっきりである。アイアンマンレースともなれば、(わずかなトップ選手を除いて)それは10時間以上にもわたる。
その間まわりにどんなに多くの選手がいても、どんなに多くの観客がいて、どんなに大きな歓声が耳に入ったとしても、それとは全く別の次元で、自分の中でだけ進行している物事がある。
それを自分との対話という人もいるだろう。自分との対話と言えば、我々日本人はその達人をよく知っている。
そう、世界のケイスケ・ホンダである。
彼は、幼いころからの夢であったイタリアの名門ACミランへの入団を決めた時のことを、会見で、「心の中のリトルホンダに尋ねたら、ACミランでプレーしたいと言った」と表現している。
リトルホンダという表現は彼独特のチャームだが、企業トップたちの中には「うん、わかるよ、圭祐君」と思った人たちも少なくないのではないか。トップに立つ者のメンタリティというのは、きっとそういうものなのではないか、とこの時に思った。
トライアスロンはお金のかけ甲斐がある
トライアスロンは趣味としては比較的金のかかる部類に入るだろう。
特に自転車、レースの参加料、ウェットスーツ、シューズやウェア類などは金がかかる。ジムを利用する人はジムの会費、日常的にサプリメントやプロテインを摂取する人はそのコストもかかってくる。
もちろんある程度安く済ませることもできる。自転車にはさすがに一定のバジェットが必要になるが、ウェットスーツはレンタルもできるし、ウェア類はその気になればいくらでもコストカットができる。トレーニングは外、栄養は全て普通の食事でまかなう、とすればよい。
ただ一方で、お金をかけたらかけただけのリターンをくれるのもトライアスロンだ。
自転車の性能も大まかに言えば価格に比例するし、ウェアにお金をかけることは機能性に対価を支払うことである。トレーニングや栄養食品にお金をかけることで、効率的に強くなることができる。あるいは結果(タイム)には表れるものばかりではないかもしれないが、ストレスと軽減し、より趣味を楽しいものにすることになる。
お金をかけることに強いのがそう、彼らセレブの皆さんである。
私たち庶民が、限られた予算の中で取捨選択しながらやっていくのもそれはそれで楽しいのだが、「うーん、もうちょっとだけ出せればあのホイールが買えるのに…」などと言う嘆息も少なくはない。
トライアスロンは闘争本能を満たしてくれる
色々と理由はあるが、実際に人々をトライアスロンへと突き動かすのはもっと本能的、衝動的なものだと私は思う。
きっと、多分、個人的な考えではあるが、トライアスロンをやってみようと思わせるのは、理屈ではなくて直感がなせる業ではないかと思う。
私が思うに、会社の社長にせよ、役者にせよ、アーティストにせよ、大きな成功を収めるような人物は、困難な目標に挑戦すること、また孤独のうちに戦うことを好み、あるいは、少なくともそれをいとわず、更には自分だけの力で何かを成し遂げたいという気持ちが強い。
困難さで言えば、トライアスロンはなかなかのものである。
スイム序盤のバトルの中でもがいている時も、バイクで乳酸の溜まった脚に鞭を打つ時も、ランで脚がつってもひたすら前に進み続ける時も、自分の中に、自らを突き動かす何かの存在がある。その何かを説明するのにちょうどいい言葉がいつも見つからないのだが、一番近いのはやはり「闘争心」ではないかと思う。
私は思うのだけど、私たちの中には普段使われず、そして使われたがっている闘争心のようなものが、澱のように溜まっているのではないだろうか。
それはアーティストが、己の中にある何かを、形にして表現するのにも似ている気がする。彼らは自分の中にある溢れんばかりの「何か」を、画家ならば筆に乗せ、音楽家ならば音に込め、小説家ならば物語に綴る。
使われたがっている闘争心があるならば、多分それを使ってやるのが健康的であり正しい姿であるように思う。少し乱暴な表現を使えば、闘争心のはけ口とでも言えるかも知れない。
トライアスロンにはそれを軽々と受け止め、満足させてくれるだけのものが十分にある。
まとめ
さて、今回は「経営者や芸能人にトライアスリートが多い理由」として以下を挙げてみた。
- トライアスロンは戦略的なスポーツである
- トライアスロンは自己完結できる
- トライアスロンはお金のかけ甲斐がある
- トライアスロンは闘争本能を満たしてくれる
競技人口の増加やら、セレブの間でトライアスロンが流行ってるやら、至極納得のいく話である。トライアスロンをやってるというと稀有なものを見るような顔をする人がいる一方で、興味を持ち、始めてみて、のめり込んでいく人も多い。やはりどう考えてもトライアスロンは魅力的なスポーツなのだ。
あまり流行という形でメディアに扱われるのはちょっと似つかわしくないと思うが、競技人口が増えることで大会も増え、より選択肢が増えていくとしたらありがたいことでもある。企業の経営者や芸能人の皆さんには、ご自身が趣味として競技を楽しむことで、良い方向にトライアスロンを盛り上げていっていただけるのだとしたら、とてもありがたいことだと私は思う。