【狭心症とトライアスロン②】カテーテル検査と治療、そしてトレーニング再開へ

スポンサーリンク

 

このコラムでは、40代半ばにして狭心症を患ってしまった経験から、狭心症治療とその後の生活やトレーニングなどについて「狭心症とトライアスロン」をテーマにシリーズで、かつ進行形の状態で綴っていく。

今回はシリーズ2回目、狭心症の診断を受けてからトレーニング再開までである。

シリーズ1回目のコラムはこちら

 

 

狭心症の診断を受けてからの流れ

循環器科を再受診し、造影剤を使ったCTや運動負荷試験を行ったその日の夕飯時、担当医師から電話があり病院に呼び出された。

通常であればこのような迅速な対応をしてくれたかどうか分からないが、海外赴任が間近に迫っているという事情を汲み、少しでも早くと時間外に対応してくれた。この担当医には感謝である。

 

そこで狭心症だと告げられるわけだが、その後の流れの説明もとてもクリアなものだった。

まず翌週に2泊3日で検査入院する。

そこで手首からカテーテルを入れて冠動脈の状態を詳しく調べる。カテーテルというのは直径1~2㎜程度の樹脂製の細い管である。検査ではこれを手首の血管に刺し込み、血管内を這わせて心臓まで押し進めて心臓各部の状態を詳しくみる。カテーテルという名前くらいは聞いたことがあったが、実際やるとなるとなかなかえぐい。

さらにその翌週、治療(手術)のため3泊4日で入院する。

カテーテル検査で分かった詳しい状況から治療の方針を立て、この入院のタイミングで再度カテーテルを入れて治療を行うということだ。この話を受けた時点ですでに、ほぼ間違いなくステント留置術(ステントを血管の内に入れた状態で手術を終了する)になるだろうと聞かされた。ステントというのは金属製の網を筒状にしたもので、これを狭窄した冠動脈の患部に入れて広げることで、狭くなった血管を広く保つことができるというものある。

治療の数時間後からもう歩くこともできるが、治療後2週間は運動はせずに安静に生活し、2週間後の診察で問題ないと判断できれば海外への赴任も医師として許可できるということだった。

 

病状の説明も治療のプランも明確でとても分かりやすかった。これらすべてをその日の夕方に担当医師から聞いたわけだが、今思えば結局全部この時言われたとおりに進んだのだから、それだけ専門医にしてみれば「よくあること」なのだろうと思う。

にしても言われたとおりに物事が進むというのは人に安心感を与えるものだなあと改めて感じ、感心してしまった。

 

 

こんなに運動しないのは何年ぶりだろう?

診断から検査を経て治療するまでの2週間強は、医師に言われた通りとにかくおとなしく過ごした。

私のトライアスロン人生にはかなり長いブランクが何度もあったわけだが、ここ4,5年は日常的にトレーニングを続けていたので、2週間運動らしい運動をしないというのはそれこそ数年ぶりということになった。

末端のアマチュアトライアスリートとは言え、トライアスロンをしている人間にとって、「運動しないこと」を続けるのは通常あまり簡単なことではない。しかし今回は初めての心疾患ということで私としてもビビっていたので、さすがに運動をしたいとはあまり思わなかった。

とは言え時間はあるし、太るのも嫌なのでこの期間はウォーキングをよくやった。時間があれば妻と公園に行って歩き、湖畔に行っては歩き、犬を連れて近所をよく歩いた。まるで老夫婦である。

病気になると気が弱くなるのか、こうして一緒に歩く人がいるというのはいいものだなとしみじみ思い、年老いて引っ越すとしたら近くに良い散歩道が必要だな、などとまた思った。

ウォーキングとは言え、少しペースを上げると心臓に症状を感じるようになっていた。日単位で悪化が分かるというほどではなかったが、週単位レベルでは悪くなっているようにも感じられたので、その程度には悪化傾向があったのではないかと思う。

 

その症状がどこまで行くと危険なのかが分からないのが怖いところである。心臓病では自覚症状がない人が急にぽっくり逝ってしまうような話もあるというので、大した痛みではないからとタカをくくっていられないのだ。

そんなわけで心臓を患うと、「死を覚悟する」までは行かなくとも「死を意識する」くらいはする。

まずは残していく家族のことを想って、自分がまだこれから歩むはずだった人生のことを想って、あるいは自分の部屋や、そこにある所有物、さらには会社のパソコンやデスクの片づけは誰がするのだろう、なんていうことまで考えてしまったりする。もちろんこれは大げさな想像ではあるのだけど、そういうことが頭によぎる瞬間が幾度となくあった。

こんなことを考える経験をした後で治療をして回復したら、いろんなことが違って見えたり生き方が変わったりするのか、いやそんなドラマティックな変化なんてきっと起こらないだろう、なんてことも考えたりする。

入院の日までを数え、とりあえず入院までこぎつければ何かあってもすぐに対処してくれるだろうなどと考え、朝起きてああ今日もとりあえずまだ生きてるな、などと思ったりもした。

 

そうこうするうちに、実際入院の日まで私の心臓は当然のことのように動き続けて、治療を迎えるのだった。

 

 

カテーテルによる検査と治療

病院によって、また場合によっても異なるらしいが、私の場合検査で2泊3日、治療で3泊4日の入院だった。ネットなど他の病院の情報を見ても、この泊数での入院はかなり手厚い方であるようだった。

これまたいつ以来だろうという入院(たぶん成人してから初めてだろう)をして、コロナの味覚障害を疑わせるほど味付けの薄い病院食(脂質異常患者向けのものなのでなおさら薄い)を食べた。

循環器の入院患者というのは高齢者が多い。動脈硬化が進み心疾患を発症するのは60歳を超えてからという人が多いからである。看護師などからもまだお若いですねなどと言われるが、珍しいくらい若くして血管が劣化しているということを指摘されているに等しく、ちょっと傷つく。

40代の入院患者がどれくらいの割合でいるのかと看護師に聞くと、ある人は1割に満たないかもと答え、ある人は2,3割かなと答えた。どちらかに何らかの忖度があったのか、あるいはさほど患者の年齢を意識していないのか分からないが、すくなくとも入院中に私と同年代と思われる患者は見かけなかったように思う。

 

検査は手術室のようなところで行われた。1日にシリアルに数名ずつ実施されるので、前の人が長引けばそれだけ開始時間を待たされることになる。検査の時はたしか2時間ほど開始が遅れ、終わった時にはかなりの空腹だった。

手術台に横たわると、左側に複数のモニターがあり、検査が始まるとそこに映し出される心臓の様子を見ることができた。カテーテルは手首(検査時は左手首、治療時は右手首だった)から入れた。足の付け根からの場合もあるようだが、最近では手首が主流らしかった。

局所麻酔はするのだが、このカテーテルを刺しこむ時には痛み(通常の注射よりは痛いくらい)があった。いったんカテーテルが入ってしまうと、血管の内側には痛みを感じる神経はないということで、カテーテルをずるずると入れ込んでいるのはなんとなくわかるのだが、痛みは感じなかった。

検査時、おそらく造影剤によるものなのか、あるいは緊張があったのか、はたまた空腹が関係していたのかもしれないが、結構気分が悪く(貧血のような感じもあり、吐き気も感じた)なってしまった。意識もありしゃべることもできるのでそれを訴えると何かしらの薬剤による処置をしてくれて少し楽にはなったが、検査が終わるころまで気分の悪さはある程度続いていたような気がする。

その気分の悪さを除けば、検査においてもステント留置術においても問題はなく、いずれも順調のうちに終了した。検査で30分程度、治療で1時間程度だった。長引くケースもあるようだが、私のケースは時間的に見ても順調に行った方であるということだった。

かくして私は金属製の筒が装着された心臓を持つことになった。

 

 

はじめは1キロのジョグから-トレーニング再開へ

手術が終わってそれこそ最初の2,3日くらいは、なんとなく心臓に何かあるような(あるいはステントが入っていることが分かっているのでそう感じてしまうだけなのかも知れないが)違和感があったものの、その後は胸の症状も消え、元の状態に戻ったように感じられた。

それから2週間は医師に言われた通り安静に過ごし、やはりまたよくウォーキングをした。カテーテルを手首から入れる場合、手首の動脈に穴を開けることになるので、当分の間重いものを持ったりすることもできない。なので走ることもなく、筋トレなどもせず、通勤バイクにも乗らず家でテレワークの日々を過ごした。ここ最近テレワークが当たり前の世の中になったことは、狭心症だけでなく病気の治療や療養をするにあたっては歓迎すべきことである。

2週間後に医師の診察があったので、その前日にお試しということで1キロだけジョギングをしてみた。その診察で術後の状態を判断してもらう必要があったからだ。

いつものように妻とウォーキングをした後で、体感キロ7分くらいのゆっくりしたペースで公園を1周走った。治療まではそのくらいのペースでも症状を感じるくらいになっていたのだが、この時は何も異常を感じることがなかった。治療でやはり改善したのだということが明確に感じられた。

 

術後の医師の話では、ステント治療後のしばらくの間(1~2か月、特に最初の2週間)は注意が必要ということだった。金属アレルギーなどでステントが体に合わず異常が現れることがあったり、またステント留置したにもかかわらず再狭窄してしまうという可能性もゼロではないということだった。

その特に注意という2週間を経て、走っても症状は出なくなった。もちろん翌日の担当医の診察でも「問題なし」の判断となり、続けての通院の必要はなく、またどこかのタイミングで検査(通常この病院では半年後にCTを取るということだがこれは手厚い方で、もっと先だったりあるいは特に検査は行わないという病院もあるらしい)しましょうということになった。

 

トレーニングは焦ることなく、少しずつ再開していった。最初は1キロ。次は15分。それから30分。ペースは常にキロ6分半から7分程度のスローペースだ。平日お決まりの45分ジョグを初めて走ったのはトレーニング再開から2週間後のことだった。

始めはおそるおそる走っていたのだが、胸に異常が出ないことが分かり徐々に安心に変わっていった。まだ3月なので、このまま従来のトレーニングに戻すことができれば、今年のシーズンには問題なくレースにも参加できそうだ。

狭心症の発覚から治療完了までがきっちり1か月で済み、その後の経過も順調である。何もかもが順調に進んだように思えていたのだ。この時はまだ。

 

「狭心症とトライアスロン」第2回はここまで。

第3回へ続く。

 

【狭心症とトライアスロン③】ステント留置後の生活とトレーニング、そしてまさかの?
狭心症治療とその後の生活やトレーニングなどについてのシリーズコラム「狭心症とトライアスロン」。第3回はステント留置術を終えてからの生活やトライアスロンのトレーニング、そしてまさかの狭心症再発の疑いについて。