新型コロナウィルス感染リスク低減のためにランニングやサイクリングを自粛すべきか否か

新型コロナウィルス(COVID-19)感染拡大防止のための自粛が叫ばれるようになって、もうどれくらい経っただろうか。

そんな昨今、聖域と考えていた「屋外での運動」に対してまでも暗雲が広がってきている。

 

東京に緊急事態宣言が出された時には安倍さんも「ランニングとか全然オッケー」なんて言っていたし、基本そこのところはあまり心配していなかったのに。

なのに最近ではランニング中の呼気は意外と感染リスクが高いみたいな話が出てきて、どうも怪しい風向きになってきている。

 

どこかの企業でつくられたらしいシミュレーション動画が盛んにニュース番組などで取り上げられている。

2人のランナーが一定の距離を空けて縦列で走っている設定で、前のランナーの口からウィルスを表す色のついた呼気が出て、それが後ろのランナーに降りかかるというものだ。

センセーショナルで視覚的にうったえる、いかにもメディアが好みそうな映像だ。

 

それを見たコメンテーターは顔をしかめ、ウィルスの危険性を再確認しただとか、ランニングのリスク認識を改めなければ、などと物知り顔で連呼する。

するとそれに応じて世論も変化し、ランニングも控えようとか、マスクをしながら走れとかいう話になり、さらにはノーマスクのランナーが非難の的にされることになる。

 

これは果たして正しい流れなのだろうか?

 

 

ランニングやサイクリングでウィルス感染拡大のリスクは高まるか?

まずはこれをご覧いただきたい。

最近テレビでよく見かけるAnsys社のシミュレーション動画だ。

Facing COVID-19 Challenges: Leave Additional Space When Exercising

出典:Ansys

(参考Webサイト:https://www.ansys.com/about-ansys/covid-19-simulation-insights

 

社会的距離1.5mを空けての会話や、横並びでのランニングは比較的安全であり、縦に並んでのランニングになると安全性が下がるというのを視覚的に示したもの。

さらに、縦並びでも後ろの人が少し横にずれることで安全性が上がるという事も示している。

言葉が分からなくても、前のランナーが吐いた息に含まれるウィルス(ここでは40~200マイクロメートルのパーティクル)に後ろのランナーが突っ込んでいく様子が、映像だけで分かりやすく表現されている。

 

これを見てランニングを止めたり、マスクをつけて走るようになった人はとても多いだろうと思う。

確かにこれを見る限り、まったくの無人エリアでない限り外でのランニングの感染リスクはゼロではなく、さらに一定の条件でそのリスクが高くなるようだという事が分かる。

 

ではやはりランニングもサイクリングもやめるか、あるいはマスク着用でやるべきなのだろうか?

 

 

「感染拡大防止のためにランニングやサイクリングを自粛すべきか否か」よりも重要なこと

しかし、である。

 

ここで話したいのは、感染拡大防止のためにランニングやサイクリングを自粛すべきかどうか、ということではない。

その答えを私は持っていないし、それは人により異なってしかるべきだとも思う。

 

ここであえて、今の時点で私個人がどう考えているかを話すのはやめておこうと思う。

なぜならそれはこの記事で触れたいことの本質ではないし、それに今日自分がこうだと思っていることが明日には結構違っているかもしれないからだ。

ずいぶん序盤に、他のライブイベントなどが次々中止を決める中、東京事変がライブを決行したというのがあった。

この時私は海外からこのニュースを見ていて、ネット上で賛否両論が飛び交っていたのを覚えている。

私も当時は東京事変の下した判断に一定の理解をしていて賛否の中間的な意見だったのだけど、今となればこれは誤った判断だったと思っている。

コロナの話題のように日々の展開が早いと、個人的な考えというのも状況に応じてコロコロと変わってしまうものだ。

 

話を戻して。

ではランニングやサイクリングを控えるべきか否か、よりも大切なことは何だろうか?

 

まったく経験したことのない未知の境遇にあるのだから一人一人の対応は違って当然で、東国原氏のようにランニングするの控えてますって言うのならそれはもちろん個人の自由である。

でも「じゃあ自分もやめた」とか「マスクもしないで走ってるあの人はおかしい」とかに直結してしまうのはいかがなものだろうか。

 

いろいろな情報やうわさが飛び交う中で、自分がどう対処するかを決めるのには大きく分けて2つのステップがあると思う。

すれはすなわち、

  1. 事実を知る
  2. 自分で考える

の2つである。

 

とても当たり前のことのようだけど、このステップが踏まれていないのではないかと感じることがここのところ多い。

とくに2つ目の「自分で考える」というところ。

公園でジョギングするのが是か非かを論じるよりも、この基本的なプロセスについて考えてみたい。

 

 

ウィルス学の専門家に「ランチを食べに行くのは大丈夫ですか?」という質問への違和感

テレビのニュース番組もワイドショーも新型コロナウィルスの話題のネタばかりの今日このごろ。

 

よくあるのが感染リスクについての視聴者からの、

「○○はいいんですか?」

「○○するのはダメですか?」

などといった疑問を紹介し、専門家がそれに回答するというシーン。

 

外出自粛や営業自粛の要請に絡めて、

「ランチを外に食べに行くのは大丈夫ですか?」

「公園で子供を遊ばせてもいいですか?」

「満員電車に乗るのは避けたほうがいい?」

と言った感じの質問。

 

中には、質問をする前に一度でも考えを巡らせただろうかと感じるようなものも多い。

3か月ほど月旅行に行っていて「え?新型コロナ?なにそれ?」とでも言うのならまだ分かるが、ウィルスについてどの程度のことが分かっているのかなんて、もうさんざん聞かされてきたはずだ。

 

それよりなにより、いったい誰が他人の行動規範などを決められると言うのだろう。

ウィルス学の専門家だろうか?

政治家だろうか?

物知り顔のコメンテーターだろうか?

誰が判断に足る十分な情報を持っていて、客観的な判断ができて、それを親切にも正しく伝えてくれるというのだろうか?

 

 

ステップ1.「事実(エビデンス)を知る」

まず1つ目のステップ。

一定量の事実(エビデンス)を持たずに考えろと言ったってそれは無理な話である。

 

あなたがどうすべきかという答えを持っている人などいない

まずスタート地点として、「自分がどうすべきかという問いに対する正答なんか誰からももらえやしない」という認識を持っておきたいと思う。

 

前出の、

「ランチを外に食べに行くのは大丈夫ですか?」

という質問。

 

ウィルスがどのようにして人から人、あるいは物を介してうつるかという「事実」はある程度知らされているところである。

飛沫がどの程度飛ぶかとか、アルコールや喫煙は重症化のリスクを高めるらしいとか。

そういった情報を総合すれば、少なくとも世の中的に何が許容され、何が許容されないかと言ったことはだいたい予想がつくはずだ。

とはいえそれと、「自分が実際どういう行動を取るか」はまた別の問題である。

だからこそどうすべきかと悩むことはたくさん出てくるのは当然なんだと思う。

 

ウィルスの話となるとどうしても専門家が頼りにされがちだけど、専門家だって人間であり、メディアに露出するからには色々な利害があってものをしゃべっているはずだ。

個人の利害だったり、大学など所属団体の立場、あるいは別の次元で世論をコントロールしようと発言することもあるかもしれない。

特にセンセーショナルな言葉には注意が必要だと思う。

 

例えば細菌学の専門家が「スマホには雑菌が十億個もついているんですよ」というようなことを言ったとする。

良からぬものが十億というとんでもない数付着しているということでこれは何とかしなければという気にさせられてしまう人も少なくないと思う。

がこうした時はえてして、その雑菌がどのようなもので、それはいくつくらいあるとどの程度の害があるものかという肝心な情報は語られない。

 

メディアの情報に明白な嘘というのは少ないと思うけど、情報の切り取り方や見せ方はあくまで向こうの都合なのである。

だから自分がどうすべきかを知りたければ、それらの情報を拾い集めて、あとは自分の頭で考えるしかない。

ウィルスへの対処にしたって、一般論として何を推奨するかを論ずることはできるだろうけど、自分が実際どうすべきかなんて、他の誰も決めてはくれないのだ。

 

 

その事実が本質をとらえているか検証する

事実(エビデンス)とは、例えば前出のAnsys社のシミュレーションなどがそれだ。

ここで大切にすべきは、その事実から自分が得られるものは何かをしっかり検証することだと思う。

 

例えばシミュレーション動画では40~200マイクロメートルのパーティクルをウィルスと見立てているが、実際にCOVID-19がどういう形状でどのくらいのサイズかという情報は(この動画上には)与えられていない。

 

また、前を走るランナーの呼気からウィルスが後のランナーに降りかかることは分かるが、重要なのはそれがどの程度危険なのかという点のはず。

面と向かってしゃべるときの飛沫に比べてどの程度の量なのか?

このようなシチュエーションで感染した実例はあるのか?  あるとしたらそれは全体の何パーセント程度なのか?

赤や青に色付けされたものの多くは衣服に降りかかっているが、衣服を経由して感染するリスクというのはどの程度あるのか?

視覚的に訴えるからと言って、有名な大学が紹介している調査だからと言って、何となく鵜呑みにするのは良くないのではないか。

 

ただ一方で、そうした事実だけを繋げて答えにたどり着けるかというと、それは事実上不可能だと思う。

一意的に答えを導き出せるような情報を、質としても量としても、まだ誰も持ち合わせていないからだ。

なので事実を収集したりこねくり回したりするだけなく、自分の頭で考えるというステップはどうしたって必要になる。

 

事実はアップデートが必要

とくにCOVID-19に関してはまだ分かっていないことも多く、日々情報が更新されている。

加えて感染状況も刻々と変わっていくので、常に情報はアップデートが必要になる。

 

東京事変のライブ敢行にしたって、当時は支持する人も多かったけど、今であればただの蛮行と一刀両断されてしまう。

もちろん当時は分かっている事実が今とは違うのだから、彼らの判断について今どうこういうのは意味がない。

 

一斉休校の政府判断だって、思い返せばずいぶん批判もあったような記憶がある。

1週間もあれば世論がひっくり返るくらい、今の情報更新スピードは速くなっている。

 

 

ステップ2.「自分の頭で考える」

では次は、自分の頭で考えるということについて考えてみたい。

 

自分で考えない人たちへの違和感

また例の質問(「じゃあランチを外に食べに行くのは大丈夫ですか?」)だけれど、こういうのに接して違和感や問題意識を持つ人は(一緒にテレビを見ていた妻がそうだったように)少なくないように思う。

 

ちょうどこれを書いている時に、脳科学者である茂木健一郎氏のYoutube動画についてニュースでやっていたので紹介したい。

『「自粛警察」がいけない脳科学的理由』と題して、「自分で考えること」の重要性を4分間で説いている動画だ。

「自粛警察」がいけない脳科学的理由

出典:茂木健一郎Ken Mogi

茂木さんいわく、脳というのは自分で考えないと成長していかなくて、日本で行われている「自粛」というものの良さは、自分自身で考えることにより脳が成長するとともに、各自の行動が市民として磨かれていくところである、とのこと。

あくまで脳科学的なアプローチではあるが、何となく共感できるところは多い。

 

とまあここで言いたいのは茂木氏の説がどうかという事ではなく、昨今の世の出来事を見ていて「自分で考えること」に注目が集まっているのではないかというところ。

とりわけ、日本と諸外国の「自粛=自分で考える」vs「ロックダウン=人に決めてもらう(強制力)」の図式ができてきていることが、こうした流れをより大きなものにしているような気がする。

 

自分で考えるとはどういうことか

ランニング中のマスクの話に戻ると、ランナーの呼気から感染のリスクがあるなら、マスクを着用して走るという行為に一定の意味はあるのだろうと思う。

 

ただこの先に待つのは、異常な湿度と猛暑の日本の夏である。

7,8月の真夏になれば、マスクをしてランニングというのはまず無理ではないかと思う。

今、マスク無しランニングは悪だという風潮を作っているランナーの方々は、この先どうするつもりなのだろうと思ってしまう。

マスク無しランニングはだめ、でもマスクをしたら走れない、ではランニングを止めるしかなくなってしまう。

それでいいのだろうか?

 

一方向に流されないこと、多面的に評価すること、疑ってみること、反対意見を考えてみること。

利己と他己を区別しつつどこかで折り合いをつけること。

 

自分で考えると、時に利己的な結論に至ることもある。

自分に都合のいいように解釈してしまったり、自分で自分を納得させてしまったり。

でもそれは自分で考えることの利点でもあって、自分だけにしか導き出せない最適化された答えを得られるという事。

 

自分で考えるってそういうことかなと思う。

 

 

みんなが自分で考える世の中のメリット

『みんなが「自分で考える」では人によって対応が異なってしまって、それでは不公平だったり、統一されていないことによる不都合が生じてしまう』という意見もあるはずだと思う。

それはその通りで、だから誰かにこうだと決めてほしい、という言い分もよく分かる。

だからルールが必要で、それはある程度は決めなきゃいけないと思う。

 

でもルールは万能じゃないし、ルールを細かく決めることで今度は非効率が生じることになる。

各自が考えて臨機応変に適切な対処をするのと、これはこうあれはああとすっぱりと決めてしまうのとでは、やはり前者の方が効率がいいのではないかと思う。

 

ランニングの話で言えば、「ランニングは禁止」とか「マスク着用義務」とか「人の集まる公園等でのランニング禁止」とかいうルールが考えられる。

そうなってしまうとランニング自体ができなくなる人がおそらくたくさんいて、それは個人にも社会にもマイナスが大きい。

 

一方で、ランニングの何がいけないのか、どの程度のリスクなのか、どうすれば許容できるリスクになるのかといったことや、あるいはランニングにはどんなメリットがあって、どの程度必要とされているのかといった側面との対比などを各自が考えて総合的に判断した場合はどうだろう?

 

おそらく、なんとかランニングを続けたい人はどうやったら自分の望みと社会的責任に折り合いをつけられるかを探して落ち着き(人のいないところに行くなり、早朝に走るなり、マスクをつけるなり、etc.)、また別の人は面倒になって走るのを止めるかもしれないし、別の人はランニングマシンを自宅に用意するかもしれない。

 

そんな風に変化して落ち着くところに落ち着くとしたら、その方が納得性が高くてより多くの人がハッピーになるような気がする。

 

と、まあここのところはちょっと都合よく考えすぎかもしれないけれど。

 

 

感染拡大防止のためにランニングやサイクリングを自粛すべきか否か – まとめ

ニュースなどを見ていて思うところがあってこの記事を書いてみたのだけど、他愛ないことを何とも偉そうに知った風な口調で書き連ねてしまった気がする。

最後まで読んでくださった方がいれば感謝するとともに、ネット上に浮遊するよくある駄文と思って忘れていただければと思う。

 

何はともあれ、多くの人の努力が報われてウィルス騒動が早く収束し、また気兼ねなく走ったり漕いだり泳いだりできる世の中に戻ることを願ってやまない。

 

 

 

 

 

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