このコラムでは、40代半ばにして狭心症を患った経験から、狭心症治療とその後の生活やトレーニングなどについて「狭心症とトライアスロン」をテーマにシリーズで、かつ進行形の状態で綴っていく。
今回はシリーズ7回目。狭心症の発覚から約1年半、3年ぶりのレース出場。果たして狭心症を乗り越えて無事レースを終えることができたのか?
シリーズ1回目のコラムはこちら。
いよいよその日はやってきた
原因不明の腹痛で7月のスプリントレースを欠場してから1か月と少し、いよいよその日はやってきた。
といってもこれを書いている今はレースの翌日。今回は無事出場することができて、筋肉痛にさいなまれながらラップトップをカタカタとやっている。去年の2月に狭心症と診断されてから書き始めたこのコラム、メインテーマである「狭心症と診断されちゃったけどまたトライアスロンができるのか?」という問いに対する1つの答えともいえるレースを終えて、できるだけその記憶の冷めやらぬうちにと思い筆を執って(というかキーボードを叩いて)いるのだ。
出場したのはオリンピックディスタンスのレース。川を泳ぎ、広大な公園を5周回するバイクに、川沿いのフラットな公道を走るコースだ。
会場は住まいから車で15分程度の公園なので、何度か実際のバイクコースでの練習もしたし、土地勘もある。久しぶりの大会ということで本当はスプリントでならしてからODに臨めればベストだったのだが、居住地至近の大会ということでメリットは多い。
例えば会場で前日受付をやっていたので、夕方ふらっと行ってサクッと済ませることができた。当日の朝やることを減らしておけるというのはとても助かる。
前日受付でもスコールのような強烈な雨に打たれたのだが、当日の天気予報もやはり良くはなかった。1週間前は雨予報だったのが前日には曇りのち雨と若干良くはなっていたが、曇天&低温であることに変わりはない。
ヨーロッパ各地でも温暖化の影響で猛暑の報道が多くみられたが、ここ北の島国だけは事情が違っていた。昨年こそ30度を超えるような日が数日はあった(まさに数えるほどではあった)のだが、今年は25度を超えた記憶がない。最低気温は10度ちょっと、最高気温は20度前後、というのは夏の数か月間ずーっと続いていた。酷暑の日本から見たら天国のような気候なのだが、どちらかというと暑い方が体に合う私としては少し涼しすぎてどうも体調が上がらないと思うことも少なくない。
いずれにしても、待ちに待って恋焦がれた久しぶりのレースは終わった。決して簡単ではなかった復帰レースを振り返ってみたい。
稀に見る大失敗のスイム
冒頭からこう言ってしまうと文章の起承転結もあったものではないが、レースの内容は惨憺たるものだった。その原因となったのは、何と言っても予想をはるかに超える大苦戦をしてしまったスイムである。
苦戦の理由はいくつかあった。
まず1つは水温だ。気温もどうせ上がらないので川の水温が低いであろうことは元から分かっていた。そのため最寄りのプールでなく少し離れた水温の低いプールに何度か通って慣らしたり、また低温による脚つり防止のためカリウムやマグネシウムのサプリを数日前から摂っていたりもした。しかしそれでも足はつった。しかもかなり早い時点から。
さらには川の水流があった。見た目ではそれほど流れがあるようには見えなかったのだが、思いのほか水流が強かったのだ。下流に向かってスタートを切り375m行ったところで上流向きにターンするのだが、アップストリームになってからは泳げど泳げどなかなか景色が変わらない。
2周回スイムの2周目になると、左右両方とも脚つりを繰り返し、アップストリームはスピードが全く上がらない。次々に抜かされ、後ろを振り返るといつの間にか選手はもうまばらにしか見えない。
苦しい。
この状況の原因としてさらに思い当たることもある。ウェットスーツ着用時のちょっとしたミスからそれは始まっていた。
安物のウェットスーツを使っていることもあって、ジッパーを上げる時に引っかかって上がらないことがあるのは折り込み済みだった。レース2日前にも着脱のシミュレーションをしたし、ジッパー周りに潤滑剤も付けた。その甲斐あってレース当日はスムースに着用することができたのだけど、ジッパーを上げ切ったところで、トライウェアのポケットに耳栓を入れっぱなしだったことに気づいた。
あまり水質の良くなさそうな川だし耳栓無しはできれば避けたい。仕方がないのでジッパーを下ろしてウェットスーツを上半身だけ脱いだ状態で、トライスーツの脇腹後ろのポケットからなんとか耳栓を取り出した。
再度ウェットスーツに袖を通し、ジッパーを上げようとしたのだがこれがまったく上がらない。手で探ってみると腰上あたりでトライスーツ着脱用の紐をジッパーが噛んでしまっていることが分かった。
自分では取れず周りの選手に頼んで頑張ってもらったのだが、いよいよジッパーは1ミリたりとも上がりも下がりもしなくなってしまった。ウェットを完全に脱いで、大会事務局人や工具を持っていそうなショップの人にも助けを求めたが、しっかりと噛みこんでしまった強固なジッパーはびくともしない。トライスーツの紐は途中で切れたのだが、小さな切れ端がジッパーの中に入り込んだままになっていたのだ。
そんなこんなで20~30分くらい格闘していたが、レース直前の他選手をこれ以上巻き込むわけにもいかず、事務局もショップ店員もお手上げで、お悔やみを言うように申し訳なさそうに去っていった。
もうこれは無理かもしれない。こんなつまらないことでレース目前であきらめなければならなかったら、一体どうやって自分を慰めればいいんだろう。そんなことを考えずにはいられなかった。
実際半分くらいは諦めに入っていたのだが、そうなればもう開き直るしかなかった。スイム会場では試泳が終わってブリーフィングが始まっているようだったが、その中で一人地面に座って力づくで何度も何度もジッパーを上げた。どうせ着られないのならもう壊れたって一緒なので、紐を手に巻き付けて、勢いをつけてとにかく無理やりに引っ張り続けた
と、何とかジッパーは上がってくれた。
紐の切れ端は噛んだままだったがそこを無理やり超えてしまったので、脱いだまま何度か上げ下げしてみたがジッパーは機能していそうだった。
どんなに親切な人がたくさんいて手を尽くしてくれても、最後に何とかするのはやはり自分しかいないのだな、とそんなことを思いつつ急いでウェットスーツを着た。
何とかレースを始められることにはなったのだが、すでに試泳の時間は終わっていて、ウォーミングアップはおろかウェットの中に水を入れて整えることができなかった。その状態で泳ぎ始めたことは今までなかったのだが、もう選択肢はなかった。
スイムの終盤。
川の水を飲みつつ、川上へ遡上する鮭のごとくもがきながら、耳栓をトライスーツから取り忘れた自分のミスを呪った。あの出来事によってアップができなかったこと、スタート前にかなりの労力を費やしてしまったこと、そして何よりもウェットスーツがちゃんとフィットしていないことで余計な負荷が腕や脚にかかってしまったことが、この稀に見る大苦戦を招いてしまったのかもしれない。
最後のブイが近づき、脚つりを解消するために止まって足を持とうとするのだが、そうすると途端に下流に流される。仕方がないのでまた泳ぎ始める。レスキューと目が合う。順位を見るにかなり時間も経ってしまったはずだ。スイムの制限時間は何分だったろうか? リタイアすべきだろうか? いやいや、そんなに簡単にはあきらめるわけにもいかない。
もうレースはリタイアでもいいから、せめてスイムだけは終えようと心を決めた。もがいていれば前には進む。前に進んでいればいつかはブイにたどり着くはずだ。カヤックのレスキューが声をかけてくれる。その声に押されるように鮭は遡上する。情けなさや不甲斐なさもすべてエネルギーに変えながら。
なんとか繋いだバイク、感慨にふけりながら走ったラン
大苦戦のスイムを終え、ふらつく足でトランジションへ向かった。T1エリアはもちろんガラガラで、バイクラックにかかるバイクはまばらである。何も言われないところを見ると何とか制限時間内ではあるようなので、ゆっくりとトランジションを終え、バイクを始める。
トライアスロンのレースの中で好きな瞬間を上げるとしたら、意外とゴールとかではなくてトランジション直後かもしれないと思う。もちろんゴール後の爽快感やスタート前の気持ちの高ぶりもいいのだけど、T1でバイクを取ってから漕ぎ始めのあたり、それからT2後にランコースに入って走り始めのあたりには、他では味わうことのできない何かがあると思う。
無理やり例えるなら、夜行列車で国境を越えた早朝、薄暗い車窓に異国の景色が広がった時の感覚に近いものがあるように思う。スイムからバイク、バイクからランへのトランジションにはそういった異世界感がある。濡れた体で漕ぐバイク、乳酸のたまった脚で走り始めるラン。1つのスポーツとして連続したものでありながら、まったく違う何かが始まる瞬間でもある。うまく表現できているだろうか。それがトライアスロンの1つの大きな醍醐味なのだけれど。
さてこのレースでも、バイクを漕ぎ始めてしまうとスイム苦戦のダメージは感じるもののなんとかレースは続けられそうだった。やはりスイムとバイクでは筋肉の使い方が違うのだ。
5周回のバイクなので、スピードの速い選手と遅い選手がコースに入り乱れることになった。バイクが苦手な私は猛者たちの背中が遠ざかっていくのを何度も見送りながらも、下位の選手を少しずつ追い抜いていくつかは順位を上げられたように思う。
バイクの途中では何度か心拍計を見た。グリーンからオレンジのいつも通りの心拍ゾーンだ。スイムの最後のブイに向かうところでは普段の練習を超える心拍レートで泳ぎ続けることになっただろうが(もちろん心拍計を見るような余裕はなかった)、胸が苦しかったり痛みがあったりということは何もない。狭心症のような心臓血管の疾患は、ステントなどできちんと処置できれば機能としては通常と変わらない。その医師の言葉はトレーニングで身体を動かすときに何度も思い出して、そして実感もした。そして今こうしてトライアスロンができている。
ランは2.5kmを4周回のコースだった。最初の2周は抑えめに走って、余裕があれば後半は少しペースを上げようというプランで走り始めた。順位やタイムを狙うわけではないので、久しぶりのレースの雰囲気を余すところなく楽しみ、またいろいろあったこれまでを思い起こすことでその味わいを5割増しで享受しようという試みも行ってみる。
トライアスロンを趣味でやっていると話すと、へぇーすごいですねなどと多少の興味と称賛をもって聞いてくれる人は多い。いやぁ自分は25メートルしか泳いだことがないから、とか、自転車はいいけどマラソンはちょっとね、などと自分とは無縁のスポーツとして捉えながら。
実際アイアンマンのようなロングは別として、五体満足であればたいがいの人はトライアスロンをやることはできると思う。ランニング人口がこれだけ世間に多いのだから、それを知れば今よりかなり多くの人がトライアスロンを楽しむこともできだろうと思う。ただ別にそれをみんなに知ってもらいたいと思うわけでもない。好きなインディーズバンドが人気を得てメジャーデビューしてしまうとなんだか少し寂しいので、できれば内緒にしておきたいという感覚にちょっと似ているかもしれない。
スポーツが得意なわけでも苦手なわけでもなく、ただ五体満足ではあった私が高校生という早い段階でトライアスロンに出会えたのはラッキーだったと思う。自分の中の何かがトライアスロンというスポーツに共鳴して、始めて見て、社会人になって複数回の長いブランクがあったもののそれでもやっぱりトライアスロンに戻ってきてというのを何度か繰り返した。
40代になって安定してトレーニングや大会出場を継続するようになったのだけど、そんな中で心臓疾患というこれまで想像したこともなかった状況に陥ることになった。海外赴任直前で手術を受け、術後の経過は問題なかったものの一抹の不安を抱えながら欧州の島国にわたり、再発疑惑騒動もあったりしながらの日々を過ごしながらも、徐々に体を動かして元通りのトレーニング習慣に戻すことができて、そして今に至っている。
そこでは家族の支えを感じることもあったし、他にも何人かの人に助けてもらう場面があった。
やはり感謝だなと思う。助けてくれた人たちにも、五体満足であることにも。トライアスロンに出会ったことにも、それを続けられていることにも。今走っている自分に声援を送ってくれる人にも、声援を送っていない人にも。ランナーズハイの幸福感も手伝って、世界への感謝の念は絶えることがない。
そんな気持ちを人知れずでも表現するため、3年ぶりに超えるゴールラインの手前、いったん歩を止めて深くお辞儀なんかをしてみたりした。
狭心症とトライアスロン – 完結
そんなわけで無事大会出場を終えることができた。結果はただ完走しただけの不甲斐ないものだったので、これはできるだけ早くリベンジしておきたい。
第7回まで続いたこの連載コラムは、これをもって完結としたい。長々と個人的な話をつづっただけの駄文をもし最後まで読んでくれた人がいるなら、ここでお礼を言っておきたい。
時間を割いてお付き合いくださり、ありがとうございました。
さて、次はどんなレースに出ますかね。