【狭心症とトライアスロン⑤】走っては歩き、止まってはまた走り出す日々の巻

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このコラムでは、40代半ばにして狭心症を患った経験から、狭心症治療とその後の生活やトレーニングなどについて「狭心症とトライアスロン」をテーマにシリーズで、かつ進行形の状態で綴っていく。

今回はシリーズ5回目。心臓MRIの結果、休養期間中に思ったこと、そしてトレーニング再開へ。

 

シリーズ1回目のコラムはこちら

 

3か月待ってようやく受けることができた心臓MRI

2022年2月初旬に狭心症が発覚、すぐにカテーテル検査とステント留置術をして3月に渡欧。

しかしステントを入れてから約7週間後に再び胸に違和感を感じ、4月下旬にカテーテル検査を行った。検査では異常が見つからず、しかし違和感の正体を突き止めたいということでMRIを受けることにしたのだが、ようやく実現したのはカテーテルから3か月後の7月下旬のことだった。

私が受けたのは心臓MRI(Cardiac MRI)というものだが、もちろん万能な検査というわけではない。心臓の周囲を這う冠動脈、それもある程度太い血管の状態を観察するにはカテーテルの方が確実だという。しかしより細い血管が悪さをしていないか、そして心臓のどの部位が実際にダメージを受けているかなどを検査するにはこの心臓MRIが役立つのだ、と医師から聞かされた。

 

実際の検査では、まず通常の状態で何度か撮影が行われた。息を吸い、止め、吐く、を促されるがままに行い、それを何度か繰り返した。

次に薬剤を注射して心拍数を意図的に上げた状態でも撮影を繰り返す。動いてもいないのに心拍が上がってくのは変な感覚だったが、事前に説明を受けていたのでそれほど不快には感じなかった。心臓に何かしら問題があった場合、この薬剤の注射で予期せぬことが起こってしまわないかという危惧はあったのだが、無事何事もなく検査は終了した。

 

その日は検査だけで、結果が担当の専門医に送られてから診断とのことだった。そもそも予約が取れなくて検査だけを別の病院で取っていたので、すぐに結果が知らされないであろうことは薄々分かってはいた。

しかし、である。検査結果の連絡は当たり前のようになかなか来なかった。何度もドクターの秘書や病院に催促のメールをして、やっと面談ができたのは8月下旬のことで、それまでまたひと月ものあいだ悶々とした日々を過ごすことになった。

 

なんで運動してないの?

8月、MRIの結果を聞くために医師の元を訪れた。

本題に入る前に最近の様子などについて訊かれたので、血管拡張剤を服用している限り症状は限定的だし日常生活は問題なく過ごしている、ただ運動らしい運動はしていないと伝えた。

医師はそれを聞くと、なぜ運動をしていないのかと訊いた。もちろん胸に違和感があり心臓に何らかの問題があることを危惧しているからだったのだが、医師の意見としてはそれは「過保護」なのではないかということだった。

 

それから本題のMRIの結果だが、結論として、心臓には特に問題は見られないということだった。

ステントを入れた部位も正常で、細い血管の狭窄などによるダメージも認められないという。心筋炎、心膜炎などの所見もない。では胸、特に鳩尾付近に感じる違和感やわずかな痛みのような症状はどう考えたら良いのかと訊くと、それは心臓ではなくて胃あたりに何か原因があるのかもしれないね、とのことだった。

 

以上、である。

これ以上話すこともないし、これ以上調べることもないと言ったところだ。もし望むなら心臓リハビリのプログラムもあるよということだったが、それについてはひとまず留保した。

予想していた範疇の答えではあったが、やはり肩透かしを食らった感はある。ただ一方で、予想していた範疇の中では良い方の部類であったことも認めざるを得ない。

まだ半信半疑ではあるが、専門医がはっきりと心臓に問題が無いと言ってくれたことで、通常の生活に戻していっても大丈夫なのだろうというコンフィデンスレベルはぐっと上がった気がする。心拍数を上げるのを過度に恐れる必要はないのだろう、という気持ちにもなることができた。

この日を境に少しずつ、少しずつではあるが運動を再開してみることになった。最後にランニングをした4月上旬からは、すでに5か月近くが経っていた。

 

他人のレースばかりを見ていた5ヶ月間

この5ヶ月間は運動らしい運動をせず、体を動かすのはもっぱら外を散歩したりトレッドミルでのウォーキングがメインで、あとは何度か自転車に乗りはしたものの、ママチャリくらいの速度での短いサイクリングに留めていた。いずれも心拍数を平常時からできるだけ上げないようにと心掛けてのことだった。

もちろんレースにも出られないわけだが、その間にシーズンは待ったなしで佳境に入っていた。自分がレースに出られない間、何度か他人のレースを観には行った。カテゴリーはワールドトライアスロンシリーズから、ローカルなエイジグルーパーのレースまでさまざまだ。

 

ここで一度念のため断っておくと、私はトライアスロンのいわゆる競技者ではなく、趣味のトライアスリートでそれもどちらかというと、(贔屓目に言っても、)遅い方の部類に入る。とくに意味はないが一応そこのところは前提として明確にしておきたい。

 

エリートレースを除けば、普通トライアスロンレースを観に来るのは参加者の家族くらいのものである。

私が他人のレースを観に行くのは、どちらかというとお祭りに行く感覚に近い。イベントの雰囲気や選手の高揚感を感じたり、トライアスロングッズを売るブースを見て回るのも楽しい。あるいは次回の大会に自分が出る可能性があるものなら、レースの雰囲気やコースの特徴、トランジションエリアを把握したり、あるいはよりプラクティカルな目的として駐車場の位置や混み具合などを見ておくのも役に立つ。

 

しかしやはり自分が出られないレースを観るのは、やはりどこか寂しくもあり虚しくもある。他人のレースを観ていれば観ているほど、やっぱり出たかったなあという気持ちが強くなるものだ。次の大会なら出られるとしても、同じ大会は年に一度しかない。それにその大会が来年開催されるかどうかなんて保証はどこにもない。

今回心臓に問題が無いという診断を受けて、慎重に運動を再開してみたのだが、そんなタイミングで近隣で行われたローカルレースを観ていると、やはり急激に欲が膨らんでくる。

 

突き詰めれば命があれば良いというところから、それが手に入ると次へ次へと欲が出てくる。生きてさえいればいい、普通に生活ができればいい、軽いエクササイズができればいい、レースに出たい、それも以前よりも良いタイムを出したい。こんな風にだ。

 

しかしそこをうまくやるのが大人である。経験値というやつがそこでは役に立つはずなのだ。

はやる自分を説得し、なだめすかし、言いくるめ、規律を大切にし、心ではなく頭で考えたことを忠実に遂行していく。そして結果としてマイナスをプラスに変えることができればこっちのものである。

 

トレーニングらしきものを再開してからしばらく

トレーニングの再開は前回にも増して慎重に行っていった。

もともとウォーキングは日常的にしていたので、ウォーキングの最後に5分軽いジョグを入れるところから始めた。5分を10分に、そして15分に、あるいはインターバルを入れてジョグとウォーキングを繰り返したりした。30分続けてのジョグをするまでに2週間ほどをかけた。そこまで慎重にする必要があるかどうか分からないが、若くもないし、心臓だけでなく膝やその他足腰にも「ほら、こうやってまた運動していきますよ」と少しずつ慣らしていくのは正しいやり方な気はする。

 

さてこの休養期間を経て一つ変えていきたいことがある。それは心拍トレーニングの導入だ。

昔、そう15年以上前アイアンマンに初挑戦したころにも一度心拍計を購入して使ってみたことがあったが、長続きはしなかった。当時は胸にバンドを巻くタイプが主流で、どうもあれが気持ち悪くて続けることができなかったのだ。それに当時は心拍数を気にするモチベーションも今ほどにはなかったのだ。

5ヶ月の休養期間中にPOLARの心拍計付き腕時計を購入した。今では普通に腕時計を装着するだけで、そこそこの精度で心拍数をモニターすることができる。

心拍計を使用することで、心臓へかかる負荷の少なくとも一端は把握することができるはずだ。そうすることで過度な負荷を避けることもできるし、適度な負荷に調整することもできる。またそれを日々繰り返すことで身体のコンディションもある程度把握できるかもしれない。心臓医に聞かせたらまた過保護だと言われるかもしれないが、そのくらいでいい。

心拍トレーニングとはどのようなものか、またそれをどのように導入したかは次回詳しく紹介したい。

 

さて、トレーニングを再開して3週間ほどしたところで、また短い中断期間を強いられることになった。

と言っても心臓の症状によるものではない。

腰痛である。

もともと慢性的な腰痛を抱えているのだが、久しぶりに自転車に乗った(決して長い距離ではないのだが)のと、そのほかにも腰に負担がかかる作業があったことで悪化させてしまったらしい。歩いたり日常生活に大きな支障はない程度なのだが、靴下を履くにはかなり難儀するくらいの重度ではあった。

まあ慎重にトレーニングを再開していくには程よいブレーキかと思っていたのだが、腰痛による静養も丸2週間は要した。もちろん心臓の症状よりはずっとましである。腰痛であまり人は死んだりしない。

とは言いつつも、やはりこの「3歩進んで2歩下がる」的な状況に、我が身体を憂わずにはいられない。どうやらトライアスロンがまた出来そうなのだから腰痛ごときを今さら憂うこともなかろうと思うのだが、やはり頭で思うほど気持ちは物分かりが良くない。

でもあれこれ考えたって仕方がない。必要な時は休み、また少しずつ前に進んでいくしかないのだ。走っては歩き、歩いては止まり、そしてまた歩き、走り、また止まる。なんだか、制限時間ぎりぎりでゴールしたあのアイアンマンの時みたいだな、などと思った。

 

シリーズ「狭心症とトライアスロン」第5回目はここまで。

第6回に続く。

 

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