9月のある朝。
朝食を取り、テレビをつけるが、あいかわらず面白そうなニュースはない。
コーヒーを片手にチャンネルを回していると、ふとドーハ世界陸上の女子マラソンが目に留まる。
ここのところバタバタしていて、まだかまだかと楽しみにしていた世界陸上がすでに始まっていたことにここでようやく気付く。
家を出る時間までにはもう少しあるので、腰をおろしてしばしレースを観戦してみる。
気温30℃越えのミッドナイトマラソン
しばし谷本選手の快走をみていて、ふと気づくことがあった。
あれ、ドーハだよな?
中東だから時差は6,7時間程度だ。
今は日本時間の7時台だから、現地は深夜、しかも日をまたいで間もないような時間のはず。
テレビの解説で初めて知ったのだが、この時期のドーハは日中の気温が40度を超え、夜間でもなかなか気温が下がらないという。
そんな気候の中での大会という事で、マラソンは23時59分からという異例のスタート時刻になっていた。
確かに画面の中では、太陽の光はなく、まばらな街頭の中を選手たちが走っていた。
深夜のスタート時点で気温は32.2度、湿度は73.3%だったという。
実施自体も危ぶまれた女子マラソンは、何とか大事なく執り行われたものの、まれに見るスローペースのレースとなり、優勝タイムも歴代最遅だった。
また、エントリーしていた70人のうち2人がDNS、28人がDNF、完走者は40人にとどまった。
トライアスロンの暑さ対策はどこまで可能か?
東京オリンピックのマラソンにも同じ課題が突き付けられている。
開始時刻を早めるなど、さまざまな検討がされているが、気候変動により年々条件は厳しくなり、「焼け石に水」感が否めない。
トライアスロンはさらに不利な条件にあるとも言える。
マラソンであればドーハのように深夜の実施という事も可能かもしれないし、将来的に冬季オリンピックに移行したっていいのではないかと思う。
しかしトライアスロンはそうもいかない。
高速で行われるバイクパートを、十分な明るさの無い夜間に行うのはリスクが大きい。
またスイムがあるので冬季に行うという選択肢もないだろう。
スイムをプール、バイクをトラックで行うなど閉じた空間で行えればいいのかもしれないが、それでは本来のトライアスロンの競技性から離れていってしまう気がする。
一般のトライアスロン大会の場合
と、ここまではオリンピックなどのエリートレースの話。
では一般の大会はどうだろうか。
トライアスロンは基本的に5月から9月くらいがシーズンのスポーツだ。
とくに暑さがピークを迎える7,8月に開催されるレースが多いため、高温との戦いは常につきまとう。
大会によっては、その日の気温によってランの距離が短縮されるなど、実際にレースがクリティカルな影響を受けることも決して少なくない。
そう考えてみると、いよいよ心配になってくる。
将来的にトライアスロンができなくなる日が来るのではないだろうか、と。
大会運営もビジネスなので、リスクをカバーできなければ大会は開くことができない。
また深夜や早朝などの開催を検討したところで、人が集まらなければレースにはならない。
世界的な気候変動があり、温暖化していく地球で、野外の過酷なスポーツが生き残ることはできるのだろうか?
ここ数年でどうこうという事はないにしても、20年先、30年先となれば分からない。
30年後の自分を思い描くのが得意な、セクシーな環境大臣に期待したって、もちろん物事は解決しない。
トライアスロンが存続するために我々ができること
では我々、一般のトライアスリートにできることは何だろう?
まずは、事故を起こさないこと。
レースのたびに何人も熱中症で救急搬送されていては、スポーツとして安全性が疑問視されることになる。
一人一人がしっかりと対策をすること。入念な準備をすること。
十分に体を鍛えておくこと。
それから、気温のせいでレースの距離が短縮されたからと言って文句を言わないこと。
安全の確保は大会運営側の責任であり、イベントの生命線でもある。
バイクの周回が減らされたり、ランの距離が半減したりしたら、参加者としては不満のひとつも言いたくはなってしまう。
安くはない参加費を振り込み、何か月も前から積み上げてきた先にあるものが、急に変わってしまうのだから。
でもそこで堪えて、気持ちを切り替えることができるかどうかも、市民アスリートとしての資質というものではないかと思う。
そして無理な計画を立てないこと。
トライアスリートはだいたい難しい課題に挑むのが好きだから、時に無謀な挑戦をしてしまうこともあるかもしれない。
でもどこかでやはり冷静さは必要で、ぶっ倒れるまで走り続けるのが決して正しいトライアスリートの姿ではないと思う。
「限界に挑戦する」スポーツではあるが、体力の限界を超えてはしまってはならないのだ。
トライアスロンが無くなる日はやってくるのか?
私たち市民アスリートは、トライアスロンが楽しくてしかたがないわけなので、これをいつまでも続けていけたらいいと常に願っている。
そうした時、頭にあるのはだいたい、慢性的な体の痛みだとか、加齢による体力の低下だとか、あるいは経済的な事情であることが多いだろう。
しかし今回気づかされたように、トライアスロンという競技自体を取り巻く環境が変わり、それ自体が存亡の危機を迎える可能性だって、決してゼロとは言えない。
気候変動のような大きな潮流には抗うことができない。
我々としては、自分たちにできることをコツコツと続けていくしかないのだ、結局のところ。