【狭心症とトライアスロン④】再発騒動と、心臓疾患を持つプロトライアスリートたちについて

 

このコラムでは、40代半ばにして狭心症を患ってしまった経験から、狭心症治療とその後の生活やトレーニングなどについて「狭心症とトライアスロン」をテーマにシリーズで、かつ進行形の状態で綴っていく。

今回はシリーズ4回目。再狭窄疑いを受けてのカテーテル検査とその後について、そして心臓の病を患うプロトライアスリートたちについて。

 

シリーズ1回目のコラムはこちら

 

 

心臓病を患ったプロトライアスリートたち

今回は自分の話の前に、心臓病が公表されているプロのトライアスリートについて触れてみたい。

自分がそういった境遇にならなければ疾患を持つトライアスロン選手の話題なども記憶に残りにくいが、実はそういう目で眺めてみると過去に心臓を患った選手や、心臓疾患で亡くなった選手などが少なくないことに気づく。

 

ティム・オドネル

ティム・オドネルは、ロングディスタンスのワールドチャンピオンシップの優勝や、コナのアイアンマンの銀メダル(2019)、銅メダル(2015)など輝かしい戦績をもつアメリカのトライアスリートだ。

2021年、マイアミでのレース中(バイクレグ)に胸の痛みを感じたが、オドネルはそのままレースを続けて11位でフィニッシュした。エアロポジションを取りながら感じた痛みは通常のレース中のものとは異なり、「これは心臓発作か?」と自問しながらレースを続けていたという。

一般に心臓発作というとあいまいだが、ある記事によるとオドネルのケースはLAD(左前下降動脈)と呼ばれる冠動脈の狭窄ということなので、おそらく私のケースと類似しているのだと思う。心臓発作の前には患部が95~100%していたと言う。

ステント処置をして数週間後には軽いトレーニングを開始、1年後の2022年5月にはアイアンマン70.3でレース復帰(6位)、さらにその翌6月にはアイアンマンで3位に入りコナの出場権を獲得している。

この例を見ると、一般的にはステント入れてもちゃんと競技者としてトライアスロンに戻れるのだということが分かる。

 

ヴィンセント・ルイス

心臓疾患を持つトライアスリートとしてもっとも知られているのはヴィンセント・ルイスかもしれない。

彼のケースはWPW症候群と呼ばれるものであり、狭心症などのいわゆる虚血性心疾患とは違うようだ。

心房と心室は普通一本の回路で接続されているが、WPW症候群の患者はそれ以外に心房と心室を結ぶ別の回路が存在するため、そのせいで不整脈が発生する。症状としては突然脈拍が速くなったり、しばらく続いたあとに突然止まったりする。胸の違和感や不快感、ふらつきや失神などで自覚されるが、長時間続くと心不全に陥ることもあるという。

2013年9月、ロンドンでのレースの3日前に気分が悪くなったルイスは、レースドクターである心臓医からWPW症候群だと告げられた。ロンドンのレースに出場後すぐに手術を行い、その後復帰して毎年チェックを行っているということである。

さらに直近2022年には横浜のWTCSのスイム後に心拍数の異常を感じてリタイアしている。詳細は不明だが次戦のリーズの前の週に手術を受けたということだ。T2でのミスが響き結果は優れなかったが、バイクまではレースをリードしてメダルにもう少しで手が届くところだった。

 

ローラン・ビダル

ビダルは北京とロンドンの2回のオリンピックに出場(ロンドンでは5位入賞)したフランスのレジェンド的プロトライアスリート。ヴィンセント・ルイスを始め多くのトライアスリートが敬愛する選手だったが、残念なことに31歳の若さでこの世を去っている。

2014年4月スイムの練習中に心肺停止を起こして引退し、翌2015年、就寝中に亡くなった。複数の英語サイトを閲覧したが、2014年と2015年いずれについてもあまり詳しいことは書かれていない。ある記事では2014年は心臓発作による心肺停止であったと書いており、また別の記事では2015年に心臓発作で亡くなったという記述もある。一般の記事では心臓発作という用語の定義がはっきりしないのかもしれない。

私も専門的な知識はないのでビダルの病状について詳しいことを推し量ることはできないが、とにかく若くて強靭な肉体を持ったアスリートが心臓の疾患によって突如命を落としたということだ。

 

リチャード・マレー

マレーもヴィンセント・ルイス同様現役のプロトライアスリートである。国籍を南アフリカからオランダに移して、オランダ人のレイチェル・クラマーと夫婦トライアスリートとして活動を続けている。彼もSNSなどで心臓疾患について公表しているアスリートの一人だ。

マレーのケースはAfib(心房細動)という不整脈の一種とのこと。何らかの原因で心臓の電気信号によって心房が急速かつ不規則に鼓動し、それによって心臓が血液のポンプとしての役割を正常に果たせなくなる状態を指すらしい。

公表されたのは2021年5月、東京オリンピックの直前だ。治療を行い、2022年現在すでにWTCSに出場するなど第一線に復帰している。

 

 

結局またやることになったカテーテル検査

さて話を自分のことに戻す。

「労作性狭心症」という用語がある。「労作」とは体を動かすことを指し、歩いたり何かしらの運動をすると症状が現れる狭心症のことを労作性狭心症と呼ぶ。

ステント留置から7週間後に私が再び感じていたのも、労作時に胸の痛みや息切れが出るという症状であり、自覚としては労作性だった。そうした症状が再びみられたために専門医からカテーテル検査を提案されていたのだが、やはり唐突感が否めず日本で手術を担当してくれた医師にも意見を聞くことになった。

日本の担当医の話は要約すると以下だ:

  • 最近のステント(薬物溶出性ステント)での再狭窄の確率は5%以下であり、さらに私のケースでは仕上がりに問題もなく時期的に見ても再狭窄の確率はかなり低いと考えられる
  • ただし確率はゼロではなく、また新たな血管に狭窄病変が出現した可能性も同じくゼロではない
  • まずはCT検査かカテーテル検査にて状況を確認するのが妥当
  • ステントの上に再度ステントを留置する処置は日本では最近はあまりやらない

 

これらのインプットも踏まえ、まずは処置の話は置いておいて検査をしてみることにした。できれば侵襲的ではないCT検査から入りたかったのだが、日本と違いなかなか予約が取れず結局いきなりカテーテル検査をすることになってしまった。よほどのことがない限り検査時にステントを追加することは行わず、薬物溶出性バルーンで血管を拡張する処置が効果的と考えられる場合のみ積極的に処置する、という申し合わせを事前に医師と行った。

ステントを入れてから2か月とちょっと、再度右手首からカテーテルを挿入する運びとなった。

 

 

カテーテル検査の結果はステント留置部位に異常なし

検査をして分かったのは、ステントおよびその周辺の血管に異常はなしということだった。

カテーテル検査では意識もあり、X線画像をリアルタイムで見ることや医師と話すこともできるのだが、カテーテルによるカメラ画像も確認したうえで医師は”Good news”と切り出した。

ステントの状態にも問題はないし、しっかり血管に張り付いている。再狭窄もしていない。したがって処置の必要もない。なのでグッドニュースだ、というのだ。

いや、そうだろうか。こちらとしてはそうもいかない。症状が出ているのに異常は見つからない、それはあんまり良いことではないはずだ。一番良いストーリーは、異常個所が見つかりそれは容易に対処が可能で、その場で処置も完了して予後も十分に安心できるものであることだろう。たしかにステントの状態に問題が無いのは良いことなのだろうが、それはそれで困った状況になる。

手技の間にあまり込み入った話もできないのか、あとで説明するからとその場の議論は打ち切られてしまった。こちらも麻酔はないものの手術室で仰向けになっている状態というのはどこか意識が朦朧として、あまり思考が働かないものである。ここは医師に従うしかなく、右手首から心臓へと延びていたプラスティックの管はするすると抜かれていき、30分程度の手技は終わった。

 

ベッドに乗ったまま連れていかれた検査後の待機場所(手首の止血や、検査後に異常が出ないことの確認として2時間半は病院で待機する)で待っていると、担当医がやってきたのでまた話をした。

医師は再度、ステントや周囲の血管に異常がないことを説明し、また冠動脈の他の部位についてもわずかなプラークはところどころにみられるが処置が求められるようなものでは無く、問題はみとめられなかったと言った。では現在の症状の原因はどう考えればよいかと問うと、カテーテルで見られるのは太い冠動脈のみなので、その先の毛細血管の状態までは分からない、次にやるとすれば心臓MRIだということだった。

「次にやるとすれば」という表現が引っかかったのだが、どうも医師としてはその必要性をあまり感じていないように聞こえた。それは暗に、医師が心臓に異常があると考えていないという風にも取れる。

ずっと気になっていたのだが、この再発騒動では今のところ私の自覚症状がすべてなのだ。心電図でも血液検査でもカテーテルでも、心臓に異常があるというデータは上がっていない。私の訴えている症状を取り合わなければ、そこには問題が存在していないのである。なので私としては心臓の問題であることを可視化することを目的に運動負荷心電図をやりたいと伝えたのだが、それは前段階のスクリーニング的な検査だからとまたも一蹴されてしまった。

結局、いつ予約が取れるとも知れない心臓MRIの予約申請を入れて、カテーテル検査は終了した。

 

 

感冒による心筋炎の可能性と精神的ストレスの影響?

しばらくは悶々として日々を過ごすことになった。

検査によってステントに問題がないことが分かった安堵感は思っていたより大きかったようで、原因が分かっていないという事実を差し引いても、翌日以降の精神的ストレスは検査前に比べてずいぶん小さくなったように感じた。症状を感じるたびに狭窄部位のX線画像が頭に浮かび、「もしかしたら死ぬかも」が幾度もよぎるような生活のストレスはやはりなかなかに重い。ストレスが軽減されたのが分かるとそれに比例するように、胸の痛みや息切れの症状も検査前と比べて徐々に軽くなったように感じた。

今回ステント留置2か月後の症状の発端には、のどの痛みや悪寒などの風邪症状があった。当初コロナ感染を疑ったのだが検査は3回続けて陰性で、そうこうしている間に風邪症状は治まり、胸の症状だけが残った。

日本の医師に相談すると、その風邪症状がきっかけとなり一時的な心筋炎を起こしていた可能性はあるのではないかということだった。それをベースに、心意的ストレスが重なって症状に波が生じたのかもしれない。

 

とは言えカテーテル検査後しばらく経過しても、症状が消えたわけではなかった。ちょっとした動作で息が上がりやすい、わずかではあるが胸に痛みを感じることがある、労作が無くても鳩尾あたりに違和感を覚えることがある、などの症状は残り続けた。

処方された血管拡張剤を飲んでいれば日常生活に支障はないのだが、それでもやはり何かがおかしいように思われるので、予約が先になると言われていた心臓MRIを何とか早々に受けられるようにと努めた。

しかし結局、MRIの予約が取れたのは4月末のカテーテル検査からおよそ3か月後の7月下旬のことだった。

 

シリーズ「狭心症とトライアスロン」第4回目はここまで。

第5回に続く。

 

【狭心症とトライアスロン⑤】走っては歩き、止まってはまた走り出す日々の巻
40代半ばにして狭心症を患った経験から、狭心症治療とその後の生活やトレーニングなどについて「狭心症とトライアスロン」をテーマにシリーズで綴る。今回は心臓MRIの結果と5か月の休養中に思ったこと。そしてトライアスロン再開に向けて動き出す。心拍トレーニングも開始。